だめだったのは、たまごのなかにいたときから
もう5月が終わるらしい。私は何もやってない。
近くにいい川があるわけでも、いい散歩道があるわけでも、かわいいばあさんとじいさんがいるわけでもない家の周りは、本当に嫌い。人間関係はリセットされて、いつ何時でもむかついたらむかついたまま、電話できる友達がひとりいることがわかった。ほとんどこないLINEを読むのも、知らないふりしてインスタグラムを流し目するのもかなり得意になった。
ひとりでいる時間が増えて自分の人生について何度も振り返ってるけど、それを1日に何度もやって、何日もやって、あっという間に1週間が過ぎてんのばくわら。
それだったら数ページしか開いてないゴンブリッチの『芸術と幻影』を読まずに数ページめくるほうが有意義に決まってる。そんなときに飲むのは必ずアップルティーだし。
小さい頃から家族の前ではいわゆる"恥ずかしいこと"を避けてきたように思う。
運動会のゴリエのダンス、学習発表会の村人役、男の子と話している自分。全部恥ずかしくて、本当は全部楽しいのに隠して生きてきた。友達の前では100パー、家族の前では50パー。いつもそわそわして、運動会で定期的に私の席まで日焼け止めを塗りにくる母のことをうざがる演技。そんなことより家でお菓子食べてふざけてるほうがたのしいよなんて顔をして。
今はノリノリでダンスできるし、真剣に火サスの女の真似ができるし、だけど気になる男の子のことは話せない。ずっと本当がわからないし、いつまで経ってもわからないのはわかってる。
なんでもっと、お弁当に入ってるミートボールのことが好きになれなかったんだろう。あんたにわかられてたまるかって思ったときに誤魔化して鼻歌を歌うことしかできないんだろう。好きなものを馬鹿にされたとき、なんで「あんたの歯に青のりがついてても絶対教えないから」って言えなかったんだろう。自分って恥ずかしいところたくさんある。同じ話何回もしちゃってごめんね。好きな人には折り紙をあげるし、嫌いな人にはたばこを一本あげるから、わたしの「生きる」を知らん顔してて欲しい。誰にも邪魔されたくないのに誰かにかまってほしい。うまく話せないから、話したい人とは一緒に映画を観たいな。